山の寿酒造(山の寿)と大阪屋酒店のコト
悲願だった。
4年かけてようやくお取引できた蔵だった。
まだ「山の寿」という銘柄がほぼ福岡でしか流通していないとき、吉祥寺の飲食店さんで飲んだ日本酒が忘れられなかった。
力強くも繊細で主張があるのに嫌みが無い酒だった。
そのお酒は福岡でしか流通しておらず、その飲食店さんも福岡の酒屋さんからわざわざ買ったとのことを聞いた。
まだまだ全国には知らないお酒がたくさんあるのだ。
翌日ネットを使っていろいろなことを調べた。しかし東京に進出してもいないこともあってか山の寿に関する情報はあまりにも少なく、雲をつかむような感覚であった。
調べたものの大した情報も得られずにいた。
しかしそうなると逆に知りたくなるのが人間というものだ。かくなるうえは・・・。
「えーい電話だ!!」
ご挨拶をさせていただきたい旨を伝えると、
「来ていただくのは構いませんが、蔵の中はお見せで来ませんし、お取引も新規では今は考えておりませんよ。」
「はい。結構です。一度お会いさせてください。」
とりあえずアポイント獲得!!
そして福岡へ。
空港から車で1時間半ほど行ったところにその蔵はあった。
田舎町の大城駅からほど近いところに鎮座するようにその蔵はあった。
歴史を感じる風情のある門構えや建造物。聴けば創業はすでに200年を超えているそうだった。
事務所に通され、応接室へ。
和を基調に昔の面影を残しつつ、肌でヒシヒシ感じる清潔感で古さを全く感じさせない。
きっと物を大切にする蔵なのだろうと感じた。
ただ長く使うのではなく綺麗に丁寧に使うことで”結果的に長く使うことができた”という方がしっくりくる感じだ。そんなことを思いつつ社長のことを待っていると、おもむろに扉が開き、社長が入ってきた。
電話口では話していたので認知はしていたが山の寿の社長は女性である。
しかし顔を見るのは初めてであった。
若々しい太陽のような明るい笑顔で元気いっぱいに挨拶してくれた。
その一声だけで明朗快活さと芯の通った印象を与えた。
その当主はとても美しく凛としており、まさに大和撫子といった面持ちだった。それでいて話してみると親近感しか湧かなかった。この人といるとつい話してしまう。
なぜなら蔵を継いだばかりの大和撫子は蔵のマネジメントや方向性などに四苦八苦する新米の経営者でもあった。当時の悩みの種が自分と似ていることもあり彼女と自分を勝手に重ね合わせ私自身も胸の内を話すようになっていたのだ。
毎年福岡にそれだけのために通った。そして4年目の訪問。何が決め手かは私自身もうかがい知れぬところではある。首を縦に振ってくれた時のことは今でも忘れられない。
『山の寿』のご購入はコチラ
:左から2番目が現在の当主:片山社長
:蔵の外観
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