中村酒造場と大阪屋酒店のコト

私は彼がとても好きだ。

仕事に対する真摯な姿勢。頑固さ。芋焼酎への愛。模索する姿。造り手としての探求心。シンプルに人柄。痛いほどにまっすぐだ。彼のことを悪く言う人を聞いたことが無い。いたら退治したいくらいだ。

そんな彼をみんなが慕う。そしてみんなが思う。

「焼酎業界を支える次世代のリーダーにふさわしいのは彼である」と。

私が初めて中村酒造場に行ったのは高校生くらいの頃で、父と訪れた記憶がある。その頃は焼酎ブームであり、中村酒造場の「なかむら」は間違いなくその一時代を築いた立役者だった。当時、父が鹿児島出張へ行く際には必ず立ち寄ったのが中村酒造場であった。当時は軽い旅行気分でボケーーーっと話を右から左に流していたが、中村社長からは「同世代の息子がいるからもし君が家業を継いで、私の息子も蔵を継いだらその時はよろしくね。」的なことを言われた気がする。

月日は流れ、私が酒販店になり中村酒造場に一人でご挨拶に伺ったときはまだ息子さんは山形県の日本酒蔵で勉強している頃だった。酒問屋さんの営業を経験しそのあと蔵元への修行。ということは息子さんは完全に実家の蔵を継ぐ覚悟でいるということである。

蛇足だが日本酒蔵の衛生管理や清潔感、温度管理の厳しさなどを学ぶために焼酎蔵が日本酒蔵に研修や就職することよくあることである。蔵を継ぐ前に流通や販売の勉強で問屋や酒販店、飲食店に勤めるというのは比較的既定路線であった。

そこから2年ほどたったある日、中村社長のご子息が蔵に帰って来たということで会うことになる。彼の名前は中村慎弥氏。雄々しい見た目の社長とは裏腹に細身の体に端正な顔立ち。笑顔のまぶしい好青年だった。思い込みかもしれないがそのとき歯が光った気すらした。

彼は私の一つ年下であった。当時業界にできた私の数少ない年下の蔵元さんとなった。

歳が近いというだけでも親近感が湧くのにあの中村酒造場の息子であることにもアグラをかかず謙虚な姿勢を崩さない彼に私は高感しか持たなかった。その日一緒に食事することになるのだが、後々聴くと名門蔵ゆえのコンプレックスや業界に対する疑問や危機感などを持っていることも明らかになる。しかしその等身大の悩みも含めて私は彼の人柄に惚れ込んでしまったのだ。その気持ちは約10年たった今も変わらない。

彼との会話はとても面白い。造りにおける、特に麹づくりに対する熱い想いと探求心を述べたかと思えば。当時の焼酎ブームを”車”に例えてこう表現する。

「焼酎ブームの時って焼酎蔵が良い焼酎を造ることだけに躍起になりすぎてたんだと思うんですよ。車で言うとメーカーがスポーツカーばっかりを造っている感じ。でも本当にしなければいけなかったことは同時に良い車が走れる道路も一緒に創っていかなければいけなかったんじゃないかなって思うんです。フェラーリもF1カーも砂利道やあぜ道では本当の良さは出ないですよね。」

(くー!山田君!座布団1000枚!!)

ちなみに私はこの時言った慎也君のセリフをあらゆるところでパクりまくっている。

彼の焼酎造りに対する熱い想いと市場を俯瞰で見る冷静さとインテリジェンス。

感服いたしました。

確かに焼酎ブームのころに比べて業界は今厳しい。あえて正直に言おう。一部の焼酎蔵を除いてとても厳しい岐路に立たされている。

情けないことにブームの頃に比べれば中村酒造場に対する貢献度も落ち込んでいることは紛れもない事実である。しかし、私は彼が好きである。この苦境を必ず一緒に乗り越えたいと思っている。

焼酎界次世代リーダーの焼酎を飲んだことがある人も、飲んだことが無い人も是非飲んでいきだきたい。

『なかむら』はお湯割りが旨い!!

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:麹室から出てくる慎弥杜氏

:蔵の甕たち

:中村酒造場の蒸留器

:蔵の外観

大阪屋酒店オフィシャルサイト

1923年創業の吉祥寺でこだわりの日本酒、本格焼酎、ワインを中心に販売しております。 お酒の楽しさ、お酒がつなげてくれる人と人、 生活の中にお酒があるということの豊かさを伝えていくために日々努力しています。 更に願わくば蔵元が丁寧に丁寧に想いを込めたお酒を飲んでいただければ幸いです。

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