赤武酒造と大阪屋酒店のコト

今や日本酒蔵の若手枠の中で筆頭となっているのは間違いなくこの蔵だろう。

彼(現杜氏:古舘龍之介氏)の醸す酒は非常にモダンだ。

上品でグラマラスな吟醸香にふくよかな甘み。それでいてしつこさがなくスキっとしたキレ。これを飲んで日本酒の旨さに取りつかれる人は少なくないだろう。

日本酒を飲むためのきっかけになれるような酒。

事実このAKABUができる前、現杜氏の古舘龍之介氏は地元で大人数の飲み会をしたそうだ。南部杜氏と言われる伝統的な日本酒杜氏集団のお膝元ともいえるこの岩手県で始まりから終わりまで誰一人として日本酒を飲まなかったことに愕然とし、言われようのない危機感を覚えたと言う。

「若い人に飲んでもらえるようなお酒を造らなければ絶対に生き残れない。」

彼が蔵に戻ったのは大学卒業後すぐ。本来、酒蔵出身の子供たちは農大を出て、どこかの酒蔵や問屋、酒販店で修業、はたまた異業種などで社会人生活を経たのちに実家に戻るということが一般的なルートとなる。しかし彼は卒業後すぐに実家に戻った。いや戻らざるをえなかったのだ。

その理由はかの東日本大震災である。今でこそ赤武酒造は盛岡市に蔵を構えているが、もともとは大槌町と言われる海沿いの蔵であった。そしてその蔵は2011年3月11日すべて流されてしまったのだ。その時の気持ちは何と説明できるだろう。自分がもしその立場であったとしたらと考えると、再び酒造りをしようと思えるだろうか。想像するのも難しい。

しかし現社長の古舘秀峰氏はあきらめなかった。地元に愛された浜娘(地元銘柄)を終わらすわけにはいかないと補助金などを駆使し盛岡市内にピカピカの蔵を新設し大学卒業間もない息子に酒造りをさせた。そして息子の龍之介氏は酒造り一年目から赤武酒造の杜氏となった。

さらに驚くべきは初年度の酒の完成度である。酒造り初年度からとてつもない完成度の酒を仕上げてきたのである。龍之介氏は大学時代に利き酒大会で優勝するほどの確実な舌を持っている。しかし利き酒と実際の酒造りはまた別物だろう。もちろん復興ムードも手伝ったがそれ以上に彼の酒のすばらしさに業界が騒然としたのを私も覚えている。それが今の『AKABU』だ。私が赤武酒造に声をかけさせていただいたのは龍之介氏が戻って3年目の時だったと記憶している。ピカピカの蔵で蔵人もみな若く、本当にイキイキとしていた。暗い過去があったことなど微塵もお首にかけず。そんな姿に完全に心を打たれた。少しでもこの蔵の力になりたい。一緒にこの酒を盛り上げたいと思えた。話題沸騰の最中、声をかけさせてもらい一度は断られたが、なんとかお願いしてお付き合いをさせていただくに至った。

それからずっと売れ続けている。コロナもどこ吹く風で売れ続けている。きっかけは確かに復興や応援によるものだが、今では完全にAKABUを求めてお客様がお酒を買いに来る。全国的に良酒を醸す酒蔵としての地位を築き上げたのだ。

そんな背水の陣を見事に制した力強い酒をぜひ飲んでいただきたい。

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1923年創業の吉祥寺でこだわりの日本酒、本格焼酎、ワインを中心に販売しております。 お酒の楽しさ、お酒がつなげてくれる人と人、 生活の中にお酒があるということの豊かさを伝えていくために日々努力しています。 更に願わくば蔵元が丁寧に丁寧に想いを込めたお酒を飲んでいただければ幸いです。

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