神亀酒造と大阪屋酒店のコト
酒屋になって初めて飲食店さんと行った蔵見学だった。
同時に神亀酒造に行くのも初めてのことだった。
かねがね社長から噂は聴いていた。
”かなりの曲者”
であると。同時に全国のどこよりも早く全量純米蔵となった。今でこそ増えてきたすべてを純米酒(醸造用アルコールを転嫁しない)で醸す全量純米蔵だが、神亀が全量純米蔵になったのはなんと1987年。その頃、日本酒業界全体としては「淡麗辛口こそが正義」と言わんばかりの時代で、醸造用アルコールを添加した日本酒(以下:アル添酒)こそがメインストリームであった。
しかしそれでも純米酒こそが昔ながらの伝統的な日本酒であり、料理を引き立てるのだ。と信じぬきアル添酒を捨て、その頃から全量純米蔵として始めたような蔵であった。同調圧力に屈しない胆力と信念に業界は敬意と好奇の両方の目を向けていたという。
飲食店を連れて初めていく蔵見学になぜこの蔵をチョイスしたのか今でもわからない。若気の至りということでご勘弁願いたい。
蔵の入り口から洗礼を受ける。どこから入るのかわからない・・・。
電話してようやく出てきてもらい蔵の入口まで案内してもらった。
見た目は完全に住居。これはわからない・・・。
く、曲者め。
当時専務であった小川原氏とご挨拶。
(※ちなみに小川原氏はすでに他界され現在では婿養子の方が蔵を事業承継している)
事務所に通され席に着く。最近実家に戻り絶賛勉強中で蔵見学に来た20代後半の若者と、全量純米蔵を自分の手で切り開いた業界の先駆者の会話はさほど話が盛り上がるわけでもなく、ぎこちない時間が続いた。挙句には事務所になぜかいる猫を撫で始める専務。穴があったら入りたい。だが何もできないホストに神は意外な形で舞い降りた。同行した飲食店さんの一人の名前がたまたま「キョウシロウ」という名前であったため、「眠狂四郎」から親がとったと聞くと急にテンションが爆上がり。会話が弾んだ。
何?そのやる気スイッチ。。。
く、曲者め。
あとから知ったが「眠狂四郎」は1950年代に人気を博した剣客小説だそうだ。確かに年代的にはストライクゾーンか。謎の助け舟に辛くも飛び乗り、勢いそのままに蔵内の見学へ。
それから純米蔵になった直後まったく売れなかったことなどの苦労話を聞かせてもらった。
神亀の酒は野太い。コシのあるその酒質は熟成に非常に向いている酒であることを意味している。神亀酒造は全量純米蔵であることと同じくらい”熟成”に重きを置いている蔵としても名高い。冷蔵庫にはびっくりするくらい古いお酒が寝ていたのも印象的だ。神亀酒造の冷蔵庫はマニアにはよだれ物の宝箱である。いくらで売られるのだろうという邪推がよぎる。
お酒を絞る『槽場(ふなば)』に来た。蔵を訪ねた日、蔵ではまだ造りをしており今まさにできたての酒が槽からチョロチョロと流れ出ている。専務がグラスを取り出し、
「飲んでみな」
という。
(おぉ専務!これはまさに仲良しの契りの盃ととらえてよろしいですね?)
「いただきます!(グビッ)」
からの
「渋ッ!!」
専務がケタケタと笑う。
「これは寝かせる用に仕込んでるお酒だからしぼりたては苦くて飲めんだろう。」
く、曲者め。
予想だにしなかった味わいに安直な言葉が口をついて出たが、厳密にいえば旨かった。香りもフレッシュでガス感を絡ませ凝縮した濃厚な旨味が高波のように押し寄せるた。だがしかし、それらすべて凌駕した強烈な渋さが口内を支配した。恐るべし神亀酒造。
このパワフルな酒が、熟成により角が取れ渋みが旨味となり、複雑かつエレガントな味わいをもたらし、さらにそれを燗をにすることでそのポテンシャルは一気に花開くのである。
まさに”亀”の”神”の始祖を見たような気分だ。
やっぱりこの蔵すごい。
どこまでも底知れない器の大きさとお茶目さと威厳を感じる蔵元であった。
最後に、こんな若造相手にも快く接してくれた故小川原良征氏に心からの感謝とご冥福をお祈りします。
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左:私/中央:小川原専務/右:飲食店さん/撮影:飲食店さん
タンクの前でパシャリ
:少し緑がかった新酒
:タンク
:麹室を案内してくれる小川原専務
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